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事前授業・講座の一部を特別公開しています

Dec 14, 2008 19:30 - 21:00

記憶に残したい日本の社会活動家 第3回目~小田実~

開催日時 2008年12月14日(Sun)19:30 - 21:00
料金 社会人:1,300円 学生:700円  
開催場所 very50 大塚オフィス
東京都豊島区南大塚2-45-11 メゾンドールアム101

募集は締め切りとなりました。

DETAIL
議事録大変遅くなってしまいご迷惑をおかけしましたが、『記憶に残したい日本の社会活動家』第3回は、べ平連の活動で有名な小田実についての講義です。

【小田実の紹介】
小田実は、1960年代、70年代(=すなわち現代の若者の親世代が育った時代)を代表する作家のひとりであり、日本におけるNPOの等の市民運動の草分け的な存在であったといえます。
1932年に生まれた小田実は、終戦間際の1945年の夏に大阪の大空襲に遭遇しています。
このとき目にした光景が彼の思想に根本的な影響を与えることとなりました。
1965年 反戦運動「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を開始、1967年にはアメリカ軍脱走兵の逃亡を支援する「JATEC」結成。
代表的著作に、『何でも見てやろう~アメリカ留学と一日1ドル世界旅行の記録』(1961)

【廃墟の空間に転がる『難死』から】
大規模な空襲に遭遇した小田実は、そこここに転がるけしずみのようなたくさんの死体を目にします。
それは、それこそ突発の災害にでもあったかのような『難死』であったからこそ、身分の差も、死ななくてはならない理由の差も何もなく、一様に孤独に散らばっているという、「死」が不思議な平等さのもとに繋がっている場面でした。
そのような情景から、人は誰も例外なく孤独に死ぬしかないということ、だが死んでしまえば多く「死」のひとつとして自分自身どの死体とも変わらないということを強く意識します。
そんなさびしく徹底した平等さが彼の思想の根底に流れているようです。
往々にして人々の考えは被害者意識ばかりが膨らみがちで、自分が加害者たり得たことなど考えもしません。
しかし、加害者という立場と、被害者という真逆の立場とを照らして考えることが平和のキーであると考えたようです。
自分自身が悲惨な目に会った戦争体験についてすら、加害者の視点を持ち込んで、彼自身加害者たりえたことを否定せずにとらえています。


【当事者となるということ】
現代は分析が非常に発達しています。論理的に、明快に、筋道が明らかにされることは多いでしょう。
しかし、それらは往々にして高みの見物や安全圏からのもの言いであって、当事者意識が欠落していることが多いように見受けられます。
大切なのは、「何をすべきか」であるのに、分析屋ばかり多くなって当事者となって考える、考えをもとに実際に生活を変えていく人は少ないようです。
小田実は「なんとかなるだろう、何でも見てやろう、」という信条のもと、当事者となって固定観念や惑溺にとらわれることなく物事をとらえようとしました。


【小田実の運動】
一面的に何ものかに帰依すべきではないと、懐疑を持ち続ける必要性あるが、他方で、当事者となって「内から信じる」ことが重要であるとする思想のもと、彼は独自の運動を展開します。
相手の立場に立って当事者となることを阻害する大きな原因が、組織であると考え、組織ではなく常に「運動」を生み出そうとしました。
だれでも入れる一方、参加の強制もない、緩やかな人の集まりともいえるでしょう。何らかの共通目的は共有していても、そこには企業の論理、団体の論理といったものは存在しません。
参加する市民一人一人がそれぞれの思いに従って運動し続けることを重視するためです。
「個人」を大変に信頼した考えかたといえます。


【所感】
私も含む現代の若者にとって、ベトナム戦争がはるか昔のことになっていくと同時に、ベトナム反戦運動家としての小田実の存在は遠いものになっていっているようです。
しかし、反戦運動だけでなく彼の目指した市民運動、そして何より彼の思想は今でも新鮮さを失うことなく社会の目指すべき一つの方向であるように思います。
市民それぞれの力を信じた活動がかつて大きな動きであったということに、勇気づけられます。

ENTRY

募集は締め切りとなりました。