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事前授業・講座の一部を特別公開しています

Feb 15, 2009 19:15 - 20:45

記憶に残したい日本の社会活動家 第6回目 ~小林多喜二~

開催日時 2009年2月15日(Sun)19:15 - 20:45
料金 社会人:1,300円 学生:700円
開催場所 駒込地域文化創造館
東京都豊島区駒込2-2-2

募集は締め切りとなりました。

DETAIL
「理想主義」と「リアリズム(現実)」の共時性について

今回は現在の「カニコー」ブームに揺れる中で小林多喜二が本当に伝えたかったことを講義いただきましたのでその議事録です。

■「カニコー」ブームにある背景
1.安定成長期からバブル景気にかけての労働市場の変化
・1億総中流からの脱却を羨望し「やりたいこと、やりたい仕事」への意識の変化 
→ 夢追い系フリーターの出現 
→ 自己実現・自己肥大の欲求

  上記の流れの中で果たして「内容を伴った行動」をとっていたのか?
  「どうありたいか」ということを表面的なところでとらえていないか?
  (ex.映画で俺はこういう作品を撮りたいんだというよりもただ映画監督という職につきたい)

2.労働市場のグローバル化
 ・男女雇用機会均等法の制定
→ 女子労働力の確保という面が強かった(第3次産業の発達における企業からの要望も多かった) 
→ 国連が掲げる男女平等とは違う視点であるということは重要なポイント

 3.資本のグローバル化
  資本はその国々のトップ同士(上層階級)がお互いに結びあって流動させ、その資本はトップによって中・下層階級の人たちに分配される仕組みへと変化していった。その中で起こる中・下層階級の不満を吸収するのがナショナリズムの高揚である。

■「カニコー」ブームの意味
 共感、同感への逃避
 → 「昔やった、若い頃読んだ」という言説に読み取れる「表層的な部分での解釈」によって本当に小林多喜二が言いたかったことを理解せずそれだけで満足している読者(本質を理解していない)。そのため、蟹工船を読んだ後マルクスに傾倒しているのかといえばそういう動きはない。

 → 日本人の気質とも言うべき、「自己との対話不足」によって「血肉化していない=思想化していない」という状況
   ※これは丸山眞男も同じ事を指摘しているため、昔から変っていない

解決策としてはやはり本を読み、それを「誰かと対話」することで自分の中で気づかなかった視点も与えられるし、人を説得できない場合は自分の読み込みが足りないということでもあるのでさらに勉強し本質の理解に励むので、そういう行動をとるようにすべき。(=血肉化していくということ)

■「理想主義」と「リアリズム(現実)」の共時性
 ・蟹工船に描かれていることは「国家的及び文化的粉飾」である。
   ※ここは実際の本を読んでいただかないとわからない部分となりますので以下を参考としてください。
    国家的粉飾については「蟹工船」新潮社日本文学全集36 1961年 p28
    文化的粉飾については同書のp62
 
  ・理想主義とは現実主義である
   小林多喜二は「絶対的自己」が感じる実感を書く「私小説的手法」で「蟹工船」を書いています。
(「蟹工船」の場合は「蟹工船」自体を絶対的自己としてその中で起きる様々な出来事をありのままに書いています。)

  ・小林多喜二の理想
   貧困や搾取が行われていた「現実」をいかにして真実として表現するのか。そこに文学的な「理想」をおきました。それとともに、そうした「現実」のなかにこそ、欲望や嫉妬から解放された真実の正しい暮らしが生まれるという「理想」を求めました。
   
■小林多喜二が提起したもの
「現実」に根を下ろす意味
「誰が悪なのか?」~当事者とならない自己~
貧民救済、フェアトレード、社会還元への問題意識

  物事の本質をきちんとついているのか? 
他人のせいにせず、自分が責任をもって活動しているのか?

■所感
 小林多喜二は秋田の寒村出身だったため貧困などの世界を「現実」であるという意識で育ったため、「現実」という意識を強烈にもった人物だったのだと気づかされました。その小林多喜二の意識が詰まった「蟹工船」をどうやって読んでいくのか、そしてその読んだ後にも自分の血肉にするためにいかにして自分を含めて対話をしていくのかという意識をつけさせられました。やはり他人に対して何事も目線を置き、自己完結しない(自己満足にならない)、自分で責任を持つという姿勢を意識することを学んだ講義でした。

ENTRY

募集は締め切りとなりました。