MoGに参加した高校生や先生のリアルな声・現地で活動中の
MoGの様子・very50の活動などをお届けします。

メルカリからアフリカスタートアップを経て、very50に入社した僕が成し遂げたいこと

今回は8月からvery50にjoinした中嶋正剛を紹介させていただきます!学生時代はvery50でインターン、社会人になってからも社会人フェローとして貢献してくれた正剛。今までのキャリアからの学びとこれからの挑戦を書いてくれています!

学生時代は、アジアでバックパック、カナダ/米国でのワーキングホリデー、アフリカ大陸横断の自転車の旅など海外を舞台に一味違う挑戦を続けてきた。very50でインターンも2年経験。大学卒業後は新卒で株式会社メルカリに入社し、メルペイの決済事業立上げメンバーに。2020年1月よりアフリカの無電化地域に電力を届ける事業などを行うWASSHA株式会社に転職。アフリカの漁師の安全と収入改善を目的としたフィッシングライト事業、現地法人採用などさまざまな事業運営に携わる。2021年9月からvery50へ。

目次

心が躍る場所との出会い

大学生になるまでは人生 = サッカーで、高校を選ぶ時でさえもサッカーのレベルだけを見て決めました。絵に描いたようなサッカー小僧、それが僕でした。そんな僕が、いざサッカーをやめて、都内の文系学部に進学してみると、予想以上に暇で何をしていいのかもわからず。そんな時に出会ったのがvery50でした。

画像1高校サッカー時代

もう覚えていないくらいなので、きっかけはそんな劇的なものではなかったのだと思います。なんとなーく当時流行っていた、”ソーシャルビジネス”に興味を持って本を読んだり、国際協力の学生団体などに顔を出すようになったりしていました。
のめり込めばのめり込むほど、やっぱり現場をみてみたいと思い、まずは海外に行ってみたいなと思ったのが大学1年生の初夏でした。そんなときにたまたまFacebookで流れてきたのがvery50のMoGでした。”ソーシャルビジネス”も国際協力も含んでいて、海外に行ける!今の自分にぴったりだと、すぐに参加することにしました。初めての海外、それもインドネシアのガルーという田舎の村で、ひたすらにダイナミズムを浴びて、海外って楽しーとまさに心が躍ったのを覚えています。これをきっかけに、アジア・アフリカをメインにバックパックをするのが生きがいになっていきました。

画像2インドネシアガルーMoGにて

自分を変えてくれたMoGをもっと多くの人に

2年間近く、バイトをしてお金をためては、長期休みにバックパックをする中で、MoGでも痛感させられた英語の必要性を改めてひしひしと感じ、大学3年になるときに、休学してカナダのカフェで働きながら英語を徹底的に鍛えました。トロントで当時競争率の高かったスタバでのフルタイムジョブを勝ち取るために、町中のスタバに履歴書を配り歩いた2ヶ月は今も良い思い出です。
そんな武者修行から帰ってきて、さて次は何をしようかなと考えている中で、大学生活を振り返ったときに、very50のMoGという体験が、これまでの大学生活の中でとったあらゆる決断の基盤になっていることに気づき、いかにMoGが自分にとって重要なイベントだったかを改めて感じました。そこで「もう一度MoGに参加して、自分を試したい」と思い再度MoGに挑戦することにしました。
そのときちょうどvery50がMoGを高校生向けに始めるため、インターンを募集しており、自分にとって大きな存在であった「MoGという体験を、高校生にも広めていきたい」というビジョンにとても共感し、MoG参加後にインターンとして迷うことなく、飛び込みました。

画像3バックパッカー時代 ラオスのサンドイッチ屋さんにて

“逆算の成長”を求めた最初の就活

very50でインターンをしつつ、3年生の終わりから4年生の頭にかけて、就職活動の時期がありました。当時、very50のプロボノであるSCRAPの西澤さん(通称ウォーリーさん)が、ロジカルにもクリエイティブにも考えられるすごい方で、「自分もそんな風になりたい」と思ったことがきっかけで、その人のファーストキャリアをまねて広告代理店を中心に就職活動を始めました。結局6月時点で外資系の広告代理店から内定をいただくことができ、その時は自分でも納得のいく就職先が決まったなと、満足して就職活動を終えました。

“ただ熱量だけ”を求めた2度目の就活

就職活動後も相変わらずvery50で週7日のインターンを続けました。2017年の夏は僕の2年間のインターン期間の中でも、特に印象的な期間で、ベトナムで高校生MoGの引率をする中で高校生の成長の大きさと速さに感激し、その足で向かったカンボジアでの社会起業家探しの旅では、多くの自立した優しい挑戦者に毎日5人も6人も出会ったかと思えば、帰国後すぐにバングラデシュへと大学生MoGの引率のために飛び、20人近くの元ストリートチルドレンを本物の家族として育てる渡辺大樹さんの熱量に圧倒されたりと。
そんな色濃い夏を過ごしたあとだったからか、当時の内定先のとある大口クライアントの、シャンプーの広告を街中でみるたびに、「そもそも自分の使っているシャンプーが何かすらわからない自分が、シャンプーの広告を作ることになったとして、この夏出会ってきた人たちのように熱くなれるのだろうか、高校生に胸を張れるのだろうか」と考えるようになりました。
いろいろな人に「このまま広告代理店に入社していいのだろうか」と相談させてもらったのですが、そもそもで相談をしている時点で答えは出ていて、(当時の内定先には本当に悪いことをしたのですが……)2度目の就職活動をすることにしました。最終的には、優秀な人も多く、会社自体も急成長していてどんどん新しいことにチャレンジしていたメルカリが、熱量を持って仕事ができるだろう環境だと強く感じ、入社することに決めました。

画像4引率した高校MoG ベトナムのマイチャウにて

挑戦したい場所が見つかる。

2017年1月に、very50の最後の業務であるカンボジアでの高校生MoGの引率を終えました。残りの3ヶ月の学生生活を卒業旅行として、三ヶ月間のアフリカ自転車旅に行ったことも、今振り返れば、自分の人生にとってとても大きな偶然のブレイクスルーでした。旅そのものは、想像以上に毎日の繰り返しで、日に日に見飽きる大自然の中をただただ自転車を漕いでいるだけでした。しかし、その旅の中で、アフリカに浸透するモバイルマネーのすごさ、テクノロジーが世界を変えている現場を肌で感じたり、人の元気さや若さ、そのダイナミズムに魅了され、ふわふわと「いつかは必ずここに帰ってきて、何か挑戦したい!」と思ったのを今でも覚えています。今振り返れば、そのふわふわとした夢を得たこの旅はとても貴重な旅でした。

画像9ナミブ砂漠の夜空

メルカリという”異国”で僕が得たもの

入社式の1週間ほど前に、アフリカから帰国し、一人だけほんとに次元の違う黒さで入社したのを覚えています。もう一つ忘れないことは、自分一人だけがスーツにネクタイで入社したのに、他20人ほどの同期全員が、短パンにサンダルだったり、Tシャツだったりで入社してきたことです。その当時はよくわかっていなかったのですが、今となっては、IT, スタートアップ業界のことを何も知らずに入社したのは、自分だけだった、ということを象徴する出来事だったなと思っています。(もちろん次の日から私服に切り替えました。)

画像7アフリカ旅の終点、喜望峰にて

同期と話をしていくと、「某IT企業でインターンしてた」「学生時代、イスラエルで起業してた」「シリコンバレーのスタートアップでインターンしてた」など、学生時代からこの業界にどっぷり浸かっていた人しかいない、ということがわかりました。未だに、同期に会うと「同期の中でも、ひとり違う匂いがする」と言われるのですが、本当に迷い込んだ子犬状態で僕の社会人生活はスタートしました。
当時のメルカリの新卒は、同期もみんな給料が違ったり、研修なんかがあるわけではなく、いきなり現場に配属されるなど、ほぼ中途採用のような扱いでした。当然ITの知識も、社会人経験もない自分が活躍できるわけがなく、最初の4ヶ月は本当に毎日「この仕事向いてない。まじでやめたい。」と思いながら、朝ベットから起きるのが辛く、憂鬱な日々を過ごしていました。。社内で部署移動や、転職なんかも検討していたりもしました。しかしそんな時に、たまたま会社のチーム編成が代わり、まったく新しいチームで、全く新しいメンバーと仕事をすることになりました。そこで出会えたマネージャーが、小さな成功体験を少しずつ僕に積ませてくれて、自分自身も少しづつ自信がついていき、それまでが嘘のようにどんどん仕事が楽しくなっていきました。責任範囲も徐々に増やしてもらいながら、自分でも手に取るようにわかる成長を毎週毎週実感できた本当に充実した毎日でした。何より嬉しかったことは、新卒当時、全く歯が立たず、あまりにも遠い存在に思えた同期たちと、ちゃんと対等に仕事ができるようになっていることがわかったことでした。実際、入社当時は結構差があった給料が、彼らにちゃんと追いついてきたことからも、自分の感じている成長の実感がちゃんと会社にも認識されているのだとわかり、嬉しかったのをよく覚えています。

画像6メルペイネット決済チーム初期

メルカリで得られたものは本当に多いのですが、その中で最も大きいものの一つは、”やったことのないことをやり切る力”でした。アプリの仕様を考える、データベースからデータを抽出する、いろんなチームを跨いで意思決定をする、など今までに全くやったことがないことを、一からキャッチアップして、日本のトップラインを走るスタートアップの中でもちゃんと評価される水準でできるようになったことは、本当に今でも自分の自信につながっていて、今でも何があっても割とどっしりと構えていられるようになれたことは、とても大きな財産だったなと感じています。
もう一つは、”挑戦が当たり前の環境に身を埋められたこと”です。例えば、メルカリの同期は僕が知っているだけでもすでに5,6人ほどが起業をしていたり、メルカリで出会った人のほとんどは起業やらもっと小さいスタートアップへの転職など、他の一般的な会社ではなかなか見られないような大きな挑戦を積極的にする人がこの会社にはとても多かったのですが、そんな刺激的な環境に身を置いて、自分も大きな挑戦をしたいと思えるようになったことも、貴重な財産だなと感じています。

「自分の人生を何に使うのか?」

そんな充実した日々を過ごしていたものの、転職を決断しました。きっかけは、入社以来ずっと担当していたメルペイの新機能のリリースを終え、少し落ち着いていたタイミングでWASSHAのCEOと話をしたことでした。25才の誕生日前で「自分の人生を何に使うのか?」ということをなぜかすごく考えていた時期だったという偶然も重なり、大学生活最後のアフリカ縦断の旅からずっと温めていた「アフリカでチャレンジする」という一つの夢を叶えたいと思い、思い切って決断しました。
結果的には、コロナの時期と重なったこともあって、なかなかアフリカで時間を過ごすことはできなかったのですが、それでもアフリカで過ごした5ヶ月間では、アフリカという土地でBOPビジネスをやることの難しさと、難しさゆえのやりがいを存分に感じることができました。また、スタートアップにおけるさまざまなHard Things に立ち向かうことのできた貴重な1年7ヶ月を過ごし、WASSHAを退職することにしました。

画像8WASSHAメンバー タンザニアにて

very50と僕の“親戚”という特殊な関係

WASSHAを退職する際に決めていたことはただ一つ「もう一度アフリカでやり切るために、今度は自分で起業してアフリカに戻ること。」でした。しかし今はコロナで思うようにアフリカ内を移動することができないため、まずは日本で準備をしようと、一旦帰国しました。でも日本にいる間でも自分のやりたいことを諦めたくないという思いもあり、そんな時に思い浮かんだのが、very50で、帰国後すぐにvery50スタッフと話をしました。そこで副代表の望さん、人事の彩さんと話をしながら、世界一熱量が高いvery50という団体で過ごしたインターンの日々を回想しつつ、アフリカでチャレンジしたいという思いと同じくらい、very50でもう一度働きたいという思いが改めて込み上げてきました。
一方で、very50に”Joinする”ということをすごく大きく考えていたところがあって、そんなに簡単に踏み切れていない自分もいました。そんな中、大塚駅のホームで彩さんが「私もvery50のみんなはほんとに親戚みたいなもんだし、ここで過ごすのが、ただただ大好きだから、very50で働いている。まさたかくんとvery50の関係も、きっと親戚みたいなものだし、絶対楽しいから一緒にやろうよ。」と言ってくれたときに、すっと心が軽くなったというか、決断がすごくシンプルになった感覚があって、「まあいろんな事情はあるけれど、とりあえず親戚として、very50と深く関わりたい」という思いだけに素直に向き合うことができました。もう一つ、インターンを卒業してから、自分でも自信を持って、胸を張れる3年間を過ごし、しっかりと成長した姿を家族に見て欲しいという思いもあって、その場で「やりましょう!」と返事をしました。

画像9いつかの望さんの誕生日 撮影は僕

僕がvery50で成し遂げたいこと

この記事を書きながら、少しエモくなってしまい、自分とvery50の出会いやインターンをするきっかけになったvery50スタッフとのやりとりなどを振り返っていました。その中で大学3年生の時にvery50のインターンに応募したとき応募書類が出てきたのですが、その志望動機の中に、

> 自分自身 MoG 経験者として、素晴らしいプログラムだと思いますし、何より高校卒業後すぐの大学1年生の夏という早い段階で参加する ことができたことは、これまでの大学生活3年間に圧倒的な影響を与えられたからです。英語など悔しい思いも含めて、経験としてものすごい財産だったので、一緒に未来を創造する 仲間に、同じかそれ以上の経験をしてもらいたいと思いますし、そのお手伝いができるので あればそれは私にとっても素晴らしいことだと思います。

とありました。
今でもこの思いは変わっておらず、むしろこの3年間で強まっているくらいです。
もう一つは、この3年間で出会ってきた挑戦者たちをもっとvery50の活動に巻き込んで、日本や世界の最前線で挑戦する人々と、高校生、大学生が出会う場を作っていきたいということです。”きょういく”というフィールドに、日本の優秀な挑戦者が関わっていくためのプラットフォームにvery50がなっていくことで、もっと自立した優しい挑戦者を世界中に生んでいきたい、そんなことを実現できればと思っています。

画像10ナミブ砂漠にて

コロナの行方もわからず、very50にとってはまだまだHard Thingsが続く匂いしかしないのですが、大塚の小さなオフィスから、世界をより面白くするために、日々頑張っていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。