MoGに参加した高校生や先生のリアルな声・現地で活動中の
MoGの様子・very50の活動などをお届けします。

仙台に行ってきました!

はじめまして!

5月中旬からインターンとしてvery50で働かせて頂いています、小西です。
東日本大震災が起こってから7年が経ち、今回初めて被災地に行く機会がありました。

7月7日の朝5時に東京を出発し、車で移動。そして、その日の夜12時半に仙台から帰ってくるという弾丸旅をvery50のインターン同士で行いました!

非常に短い時間だったので、多くの場所に訪れることは出来ませんでしたが、行くことの出来た場所に関して感じた事を率直に書きます。
正直、東日本大震災が起こった際、僕は何も行動しませんでした。ただテレビの前に座って状況を眺めていただけでした。どこか他人事のように感じていたのです。でも、今回実際に被災地に訪れた事で少しだけ考え方が変わりました。その事も伝えたいと思います。

まず最初に荒浜小学校に行きました。校舎の二階にまで津波が到達した小学校で、その痕跡も見ることができました。多くの展示物から災害前の町の様子を見ることができたのですが、その直後に校舎の窓から外を見ると、全く別の景色が広がっていて、さっきまで資料で見ていた町は本当にあったのかと何度も疑ってしまいました。辛うじて立っている松の木、瓦礫の塊、むき出しの地表。この地に流れた7年という時間は震災時から止まったままでした。しかし、そこには残しておくべきもの、残しておかなければならないものもあります。ここに町があったという事、災害に襲われたという事実は、語り継がれるだけではなく、荒波小学校のようにその日の記憶が形として残っていることの大切さに気づかされました。例えば、黒板に3月11日と書かれていること、その下に日直担当の名前が書かれていること。震災直前まで日常があったことを物語っていて、色々想像するきっかけになりました。

次に石巻の日和山公園に行きました。車を降りてまず、最初に感じたのは既視感でした。この場所は災害当時多くのテレビ番組で津波の様子をこの山の上から撮影された映像が多く使われていたので覚えていました。当時観たのは、津波。しかし、今回見たのは瓦礫、工事中の土地、そして穏やかな海。目の前には何もありませんでした。薄くかかった霧にのって、海産物の塩っぽいに匂いと、海辺の工場からのつんとした臭いがしました。そして7年経っても未だに瓦礫を集めては移動させていた一体のショベルカーをみて、あと何年作業を続けるのかなと疑問に思いました。

最後に女川町に行きました。女川駅前から海に向かって伸びるシンボル空間は現代的でおしゃれでした。女川駅二階にある“女川温泉ゆぽっぽ“は、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞した坂茂氏の設計であるらしく、非常に凝った作りになっていました。また、浴槽内には千住博氏によるタイルアートが、休憩所には、デザイナー水戸岡鋭治ディレクションによるタイルアートが飾られていました。建物は立派、関わった人も著名なうえに莫大な予算を掛けて復興の名のもと駅前の空間作りがなされてきたようなのですが、僕らが訪れた日は土曜日にも関わらず閑散とした雰囲気でした。まるで“シャレオツなゴーストタウン”でした。

被災地を訪れた中でも一番印象に残っていることは、荒波小学校で展示されていた西日本のある小学校からの寄せ書きです。東日本大震災から7年が経った現在でも、その出来事が風化しないように語られていること、そして行動を起こしていること。現在の小学校6年生は震災発生当時は5歳や4歳だったのにも関わらず、荒波小学校に寄せ書きとして、今年送っているという事、こういった活動を見たときに、自分は震災が起こってから何もしていない。なぜしなかったのか、では今何ができるのか。そう考えながら帰りの車に揺られていました。

ちなみに、、、、、、、、、、

仙台では、お昼ご飯に牛タン弁当を食べました!!お肉が肉厚で香ばしい胡椒の風味としっかりとした塩だれの味付けにほんのりレモンの味。最高です!!

そして夜ごはんに女川町では、地元で獲れたお魚を使った海鮮丼!!
ネタの種類が豊富で、どのお魚も身が引き締まっていて美味しかったです!!

インターン生同士で出かけることは、今回が僕にとっては初だったのですが、前よりも仲良くなれるきっかけになったと僕は信じてます(笑)この経験を単発的な感情で終わらせるのではなく、次に繋がる経験にしていきたいと思います。